日本人でよかったと思う出来事
初めてのインド、アーユルヴェーダ 病院の1ヶ月目は
生徒として滞在したのは私とアメリカ人のマリアの二人だけでした。
マリアはケララの別のアーユルヴェーダ 施設で基礎講座を受けたけど、
PVAの院長の豊富な経験と知識に触れたくて移動してきたそう。
彼女は、「リエがいてよかったわ。一人だったら暇すぎて
死んじゃう」っと笑って見せた。
私もかなり助かりました。
なんせ、はじめのインド英語は全くと言っていいほど聞き取れず、
「私、こんなに英語できないんだ。。」と無鉄砲にインドにきたことを
ちょっと後悔した初日。
でも、マリアの言ってることは聞き取れて、「なるほど、これがインド訛りだったか」と
一つ学びました。
気さくで、遊び心に溢れて、チャーミングなマリアですが、色々やってくれました。
今は病院に食事を作ってくれるシェフが常駐していて、いつも美味しいご飯が
食べられるのですが、私たちが滞在していた時はみんな食事に不満でした。
外国人向けにあえて別メニューを出してくれていたのだけど、
みんなの口には合わなかった。(作る人によって味が違う)
私も最初はあまり喉を通らず、初めて「納豆ご飯食べたい」と思ったのですが、
プチ断食で一度味覚がクリアになったことがよかった。ご飯に対しての
マイナスなイメージも取れました。でも、まぁなかなか難しかったご飯問題。
楽しいことが大好きなマリアの堪忍袋の尾が切れて、
キッチンに乗り込んだことがありました。
キッチンを乗っ取り、怒りに任せて何品か調理して、盛り付けて、
「これが食事ってものよ!!あなたたちが作ってるのは食事じゃない!!!」
と言い放った。
一同呆然。ちょうど帰ってきた院長もびっくり。「何事だ?!」っと。。
その時自分が何を感じたか。
「あー、こうやって他の文化を塗り替えてきたんだ」と
マリアという一人の女性の行動を通して、過去の時代背景を見ちゃったんです。
マリアを否定するんではなく、あくまで彼女の後ろ側に見えた歴史。
『食事』って本当に大切で、美味しいご飯が食べられたら、もうそれだけで
心が満たされる。だから、マリアの気持ちもわからないでもない。
でも、ここはインド。アメリカでもないし、日本でもない。
発展した大都会でもないし、「病院」であって、リゾート施設でもない。
ここのやり方、外国の「味」を知らない人たちがなんとか試行錯誤して
提供してくれてるご飯。
マリアは自己主張する国で育ってるから、それが普通のことだった。
私は「郷に入っては郷に従う」で育ってきたから、まぁ仕方ないかに慣れていた。
相手の文化を尊重しながら、自分で工夫するというか、
そのスタンスが自然と身についていたことに日本人でよかったなと思う出来事でした。
良いものを紹介するのも、うちのやり方を教えてあげることも良いことだけど、
それが絶対だ、これが正解だというのは、小さな良いこと、文化を潰してしまうことに
繋がるんだなと感じた大切な思い出の一コマ。
そんなご飯問題が嘘のように、私はカヌールで「胃袋が掴まれるってこれか!」
っと初めて旅先で「ご飯」に目覚めました☆
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